先月末のこと。
弟からの電話。
「お母さんが倒れた」
妙に冷静な自分がいて、「泣くなっ!わかったけん」と電話を切った。
その日の朝、毎週恒例の電話をかけ母さんと話したんだ。
「今晩は鯵を焼くんだけど、あんたのとこは何すんの?」
「うちはブリの照り焼きをしようかと・・・」
などと他愛の無い話をし、「母さん気をつけてね。無理はいかんよ。」
「あんたこそ気をつけて」といつものパターンで電話を切った。
何にも変わらないいつもの元気ハツラツな母でした。
なんで倒れたのか意味が分からず、朝、電話で話した内容を思い返したり・・・
倒れたなら九州に帰らねばと旅行かばんに荷物を詰めたり・・・
時間が経過するにつれ、だんだん事の重大さを痛感し激しく動揺しだし、涙が溢れた。
しばらくすると父からも電話があり、さらに事の重大さを知る。
手術中に死ぬかもしれないと・・・
いてもたってもいられないけど、旦那の帰宅を待ち、共に九州に帰ることに。
手術は夕方の6時から始まり深夜1時過ぎまでの約7時間。
無事に手術を乗り切ったのに、医者から告げられたのは残酷な現実でした。
「手術は成功しました」の一言からすごく申し訳なさそうに「ですが・・・」と言葉が続いた。
「脳幹まで圧迫されていて、もって1週間くらいです」
こんな事を告げられた時、人って号泣するものとばかり思ってました。
恐ろしいくらい冷静で淡々としてました。
医者がなんだかんだ言っても、あとは母さんの生命力。
母さんなら大丈夫。そんな簡単に死なない。
術後の母さんを見て、「頑張れ。母さん!病気は気合で治すっち言いよったやろうもん」って声をかけた。
術後の母さんの姿は見ててツライ時がありました。
でも生きてて欲しい。このままずっと意識が戻らなくても、ただ生きてて欲しいと何度思ったことか。
当初医者が言っていた「自発呼吸は無理でしょう」の言葉を覆し、か弱い自発呼吸をしだした母さん。
「母さんも意地があるんだな。生きたいんだな」って勝手な解釈をしている自分がいました。
か弱い自発呼吸や肌つやのいい母さんの顔に小さな希望を見ました。
でも、医者の見立ては正確です。
人が小さな希望を見たのも束の間、兄の東京からの帰省を待っていたかのごとく危篤状態に。
最期は家族で母さんを看取りました。
それからは慌しくて大変でした。
病院の事務なんかは、母さんの亡くなった悲しみを打ち消すかのごとく「死亡診断書は○千円です。こちらでお支払いを・・・」だって。
無情です。
通夜、告別式・・・
決める内容が盛りだくさんで、悲しんでいる暇がありません。
当たり前のことですが、全て金が絡んできます。
こっちはしんどいのに・・・
ほんと、無情です。
無事に通夜、告別式を終え火葬場に運ばれ骨となった母さんを見た時、
「骨になったらみな一緒。生きているうちが花だ」と思いました。
突然、事故で家族を亡くした遺族の示談が、なぜなかなか進まないのか気持ちがよくわかりました。
急にふりかかった悲しみを、相手を憎むことで紛らわしているんでしょう。
こっちはぶつける所がない。
母さんは脳死ではなかったのですが、脳死のこと、考えました。
何かで脳死のことが議論される度に考え、ある程度、自分の中で脳死に対する見解を持っていました。
でも、何もわかってなかった。
自分を恥ずかしく思いました。
よく言います。
当事者じゃないと気持ちはわからないって。
ほんと、その通りです。
母さんの死を通していろんな事を学びました。
未だに母さんが死んだとは思えず・・・
遺影を見ては現実を突きつけられ、毎週恒例の電話をすることがなくなった現実がただただ辛い。
父が言った。
「親を亡くす悲しみより、生涯のパートナーを失う悲しみははるかにでかい」と。
泣きわめこうと何をしようと時間は過ぎていく。
生きるって残酷だと思ったのは初めてです。
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